【最初から読む】登園・降園も、保育士の勤怠管理もすべて手作業。保育士が疲弊する現場を変えたかった…第1回目のインタビュー記事はこちらから。
保育現場における保育計画の現状とは
Q:保育計画について、もう少し詳しく教えていただいてもよろしいですか?
保育計画っていうのは、とにかく作るのがめちゃくちゃ大変なんですよ。先ほどもお伝えしましたが、保育計画の内容をじっくりと監査されることはなく、保育計画があることが監査のポイントになっています。そのため、実際に現場を見てみると、保育計画っていうものはかなり形骸化してしまっているものだと言ってもいいのかもしれません。
現場の保育士さんのことを考えると、致し方ない部分が多いのですが、私はこの状況を変えたいと考えています。
Q:実際に、保育計画はどのように作成されているのでしょうか?
保育計画の作成方法に関してはさまざまあるのですが、一般的な保育計画の立て方は大きく分けて4つほどあると考えています。
- 既存の保育計画の模写
本などに載ってある既存の保育計画をそのまま転載したり、少し変えたりして立てる方法。 - 行事中心の立案
発達段階や興味関心に関係なく、行事に合わせて計画を立てる方法。 - 園の責任者が立案した計画をブラッシュアップする
園長先生や主任が立てた計画に手を加えて計画を立てる方法。 - 記録からの立案
子どもたちの発達に関する記録から立案して計画を立てる方法。
私は、この4つ目の「記録から立案」で作られる保育計画を目指しています。このような形での保育計画書の作成は決して簡単なものではないですが、実現に向けて尽力していきたいですね。
また、保育計画を考えるうえで重要になってくるのが、日本の幼児教育の変化です。
日本における幼児教育の変化
Q:日本における幼児教育は、今と昔ではそんなに違いがあるのですか?
昔と比べると、幼児教育の目的は全く違うといっても過言ではありません。
明治時代からさかのぼってみると、その違いがわかっていただけるのではないかと思っています。
明治時代の幼児教育というのは、「善良な行いを身につけること」を目的とした保育が行われていたそうです。言い換えると、”しつけ”ということになると思います。
大正時代になっても。”しつけ”という側面が強かったことに変わりはありませんが、歌や手技などを取り入れるようになり、保育の活動の幅が広がっていきました。
さらに昭和に入ると、保育を取り巻く状況は一変します。アメリカから初めて”カリキュラム”という考え方が取り入れられたのです。幼児教育という言葉が生まれたのもこの頃のことだと言われています。
第二次世界大戦が終わり、1948年に日本で初めて保育要領が制定されました。ここで初めて、「家庭教育の補完」という「しつけ」の位置付けから「家庭との連携」に変わったのです。しかし、この頃は行事中心のカリキュラムであり、子どもの発達は行事を「できる・できない」で判断されていました。
その当時の保育はまだ子どもの発達段階や興味関心に沿ったものではありませんでした。
1964年に初めて、「興味・関心を持つ」という言葉が登場したのです。しかし、「望ましい幼児の経験や活動を選択し配列して」という文言が記載されており、まだ保育士目線でのカリキュラムであったと言えるでしょう。
少し長くなりましたが、幼児教育はこのような変化を経て、現在に至っています。幼児教育の目的は「しつけ」という側面から「子どもが自ら考え、身につける」ことに変わっていったのです。
今後は、一人ひとりの発達の状況に合わせて、子どもが関心のある遊びを提供するということをやっていかなければならないと考えています。
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さだまつ じょう
学生時代に少子高齢化という人口問題を知り、2007年に株式会社global bridge設立。千葉県にて無認可保育所(のちに認可保育所へ転換)を開園。2014年、保育園運営管理システム「Child Care System」をリリースし、ICT事業を開始 2017年保育ロボット「VEVO」の開発に着手。