子どもたちのダンスを見る保育士の評価について、分析的に考える

今回は、「保育における子どものダンス活動の『達成』をどのように評価するのか」ということを、少し違う確度から少し考えてみたいと思います。そのアプローチ方法とは、認知科学的な方法論からみた美学、「実験美学」と言われるアプローチです。

実験美学とは?

哲学の一部又は隣接領域として、個々の作品や対象(自然物など)の評価や鑑賞からはなれて、「美とは何か」ということ、つまり「美自体」について探求する学問として、「美学」というものがあります。さらに、その美学の中に、人の美的経験をデータに基づいて分析しようとする分野として、「実験美学」というものがあります。
19世紀の前半のドイツの哲学者/心理学者であったフェヒナーが、心理的感覚(現代的に言えばクオリア)と物理的刺激の関係を実験的にデータ化し、「精神物理学(現代では、実験心理学といわれるのでしょうが)」という分野を切り開きました。この方法論のフェヒナーによる美的経験への応用が、実験美学という領域の嚆矢です。
このようなフェヒナーの試みについて、川野洋「実験美学 -美学者の道具から美学する主体の仕組へ」(「講座美学 第3巻 美学の方法」東京大学出版会 1984年 所収)では、次のように説明されている。

「かれ(引用者注:フェヒナー)は、芸術美を享受する美意識にはたらく法則性を美的経験の分析からえようとする。(同書 p145)」

「内省的方法にかわって、フェヒナーは、経験の客観的データをうる実験的方法を美的経験の分析にとりいれた。(同書 p145)」

「フェヒナーは心理学的実験によって他者の芸術的経験を観察し、美的快適さをうみだす対象(作品)と美意識の動態とから出力されるプロトコル(引用者註:データ)をえて、科学的美意識をつくりあげようとした。(同書 p146)」

このような説明を踏まえると、「何が美を感じさせるのか」ということを作品、対象の側の一般的性質として哲学的に考えるのが哲学的美学であり、「人は何に美を感じるか」という、人の感性の側の性質や状況を考えるという科学的美学という側面にあるのが、実験美学という形で、対比的に考えることができるのでしょう。

 

ダンスのどこを美しいと高評価するのか

さて、ではこの実験美学的手法をダンス、つまり一連の「人の動きの連なり」に対し、応用するとはどういうことなのでしょうか。あるいは、ダンスに対し好感情を抱かせるものは何であるのかを分析するというはどういうことなのでしょうか。具体的な研究を見てみたいと思います。今回、検討の対象とするのは、

「身体、動き、そして振り付け構造の美学的知覚」
Learning to like it: Aesthetic perception of bodies, movements and choreographic structure
https://www.researchgate.net/publication/236459340_Learning_to_like_it_Aesthetic_perception_of_bodies_movements_and_choreographic_structure
掲載誌:April 2013 Consciousness and Cognition 22(2):603-612

という論文です。

分析の詳細は、この論文を参照していただくとして、私の理解した当該研究結果を整理すると、以下のようになります。

①ダンスの美的評価は、「姿勢、ポーズ」「動き」「振り付け構造(流れ)」の三層構造で分析することによって、その傾向性を把握できる。
②「姿勢、ポーズ」については、幾何学的な対象性、左右対称、上下対称のある姿勢に対し、「心地よい」「快い」という好感情が生じる。運動感覚の面で「難しそう」と感じるポーズに対するプラス方向の傾向は恒常的に観測できていない。
③異なるポーズが複数連なることによって、「動き」が生まれるが、そこでは、「滑らかな」動きが好まれる。これは、ゲシュタルト心理学でいう「連続性の法則」を背景にしている。ちなみに、「連続性の法則」又は「よい連続によるまとまり」とは、「なめらかにつながって見える直線、波型線が、それぞれまとまり、波型線が途中から直線につながっているようには見えない(「心理学 第5版 補訂版」p125 東京大学出版会 2020年)」という心理学的現象のこと。
④時間軸の流れに沿って、複数の「動きの連続」が何らかのパターンを見せて出現することが、振り付け構造を創造する。この構造に対称性があると好感情を惹起する。逆に言えば、対称性の一部に「ほころび」があると、評価が低くなるということになる。

この論文では、さらに細かい分析、補充的検討もされていますが、私として重要だと思うのは、上記の4点です。
この論文で、上記①の三層構造は、次のようなイメージで紹介されていますので、参考までに引用します。

「Learning to like it: Aesthetic perception of bodies, movements and choreographic structure」Fig.1より

 

保育課程におけるダンス

 

小学校以上の教育指導要領で、「ダンス」が正規の活動として含まれるようになっていることは周知のところでしょう。保育過程においても、「子どもが体を動かして、某かを表現する」ということが求められており、未就学児教育においても、ダンスやお遊戯といった、予め定まった連続的な動きを取得し、楽しむという課程は、ほぼ漏れなく行われているのだと思います。

こういった活動について、保育所保育における発達経過記録に、記録として残すこともあるでしょうし、その結果を、小学校に提出する児童保育要録に記載することもあるでしょう。

また、そのような記録化をしなくても、その活動における子どもの様子を、自ずと保育士は内面的に記録(記憶)し、一定の評価的な印象を抱くことになるでしょう。

その際に、子どもの動きに対して、人である保育士も、先に紹介した研究における「三層構造」で好感情を抱いたり、高/低評価を無意識的に下したりしている可能性があります。これを自覚的に行えば、子どもたちのダンスやお遊戯において、「対称性」や「連続性」を意識して見ることとなり、モヤモヤとした印象的評価を、第三者にも説明可能な言語として理解、表現することができるようになるのではないでしょうか。

 

と同時に、「一つ一つのポーズの正確な対称性」「ポーズとポーズのつながりの滑らかさ」といったことを綿密に見ることによって、子どもたちの表現活動における発達過程の理解が進むのではないでしょうか。これは、先に紹介した「三層構造」の「姿勢、ポーズ」「動き」の二階層に対応します。

なお、「動き」「振り付け構造」については、主に予め定められた振り付けの問題であり、それを「なぞる」ことが求められる子どもの帰責性は小さくなるでしょう。そうなると、「動き」や「振り付け構造」に基づく「低評価」は子どもの発達過程とは直接的に無関係な部分が相当程度存在し、そのような面でのマイナス効果を自覚的に除去することも、この認知フレームワークを意識することで可能になるとも言えるのではいでしょうか。つまり、保育者側で選定したダンス課題の持っているマイナス傾向を、子どもの発達過程の評価に反映させないようにするということです。

仮に、子どもたちのダンス活動から必ずしも高くない印象評価が看取されたとした場合、それは、美的評価の面で不適切な「振り付け構造」によるものかも知れないのです。そうであれば、子どもたちの表現面、身体活動面での発達を見て取る場合に、この「三層構造」の認知フレームを踏まえて、子どもの「姿勢、ポーズ」の対称性と「動き」の平滑性に評価意識を集中させることで、課題選定に起因するノイズを適切に除去できるということにもなります。

他方、「振り付け構造」の部分についても、全く子どもの発達を反映していないということでもなく、適切な対称性を具備した「振り付け構造」を上手く記憶できす、「振り付け構造」の対称性を上手く表現できないという部分が認識できるようであれば、身体表現の部分とは別の領域として発達過程を理解するものとなるのかも知れません。

 

領域「表現」における発達の理解のために

 

子ども理解を進めていく上では、子どもたちの発達の状況を、適正に評価し、記録化していくことが必要になります。数量的にその達成状況を記録できる駆け足(時間)や機械運動(回数)などと異なり、領域「表現」の活動については、審美的な面を含めたその巧拙の評価が、発達状況の理解を進める上で必要となります。

となると、単に「上手」といった直観的印象のみに頼るのではなく、今回紹介したような、実験美学による認知科学的な知見を踏まえ、保育者自身が、人の審美的、美学的な認知の傾向について理解した上で、分析的、つまり構成要素に分解して、その発達過程の状況を理解することが必要になるのではないでしょうか。

 

一方、子どものダンス活動の指導をする幼稚園教諭らも、実は、ダンス指導において「子どもにイメージを持たせることの難しさ」という不安を抱えているという分析があります。

(「ダンス・身体表現の指導に関する研究 ―保育者への調査より―」p71 東京成徳短期大学紀要 第 45 号 2012 年)

https://www.tsu.ac.jp/Portals/0/site-img/tandai/bulletin/bulletin45_04.pdf

 

このようにダンスの身体イメージをうまく伝えられない要因として、「美しいダンス」を構成する美的要素についての認識を言語化できないということが想定できるのではないでしょうか。人の審美的認知のフレーム、例えば今回紹介している「三層構造」を理解していれば、その理解が身体の動かし方を子どもたちに言葉で伝える方法案出の「道標」となることが期待できるでしょう。

 

また、望ましい保育の形の1つとして語られることのある「レッジョ・エミリア」の未就学児教育においては、子どもとの関わり/子どものための環境構成の専門家であるペタゴジスタ(個々のクラス担任とは別に存在)と芸術活動の学位を持った(芸大の学生等をイメージしていただければ)表現活動の専門家であるアトリエリスタが協力して、子どもたちのプロジェクト活動を支えています。日本の保育士は、子どものとの関わりの専門家ですが、その中でも個々の表現活動の得手不得手は厳然と存在していることは否定できません。

 

一人一人の子どもの発達過程への理解について、深い深度が理念的に求められている現在、アトリエリスタのような表現活動の専門家を、日本の保育実践でアサインできないのであれば、今回紹介したような審美的評価に関する認知的知見を、保育士も取得していくことが必要でしょう。知見がある意味で常識的なものであったとしても、それを自覚的に認知フレームとして「利用できる、できない」の差は、発達過程の理解の恣意性という点で、無視できない違いをもたらすのではないでしょうか。

 

最近では、実験心理学が脳神経科学の急速な発展と接合することで、人が「美しい」と感じる脳神経的機序の解明も徐々に進歩しています。保育課程での領域「表現」における子どもたちの発達過程を十分に理解し、評価していくためには、美学と結合した認知科学の成果を知り、保育者自身の認知フレームワークや認知バイアスを自覚することが大事なのではないでしょうか。

 

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