保育士の「次に注視するのは、どこか」を分析、可視化する(後編)

エントリー前編では、人間が視線を移動させることについての若干の整理を行った上で、砂場遊びに付き添っている保育士の注視先の遷移を「確率」という形式で表現し、それを一覧表の形にして、その状況を少し説明してみた。今回の「後編」では、注視先の遷移を、もう少しビジュアな表現に移し替えるとともに、人間の視覚認知を踏まえて、注視先遷移についての仮説的解釈を述べてみたい。

 

注視先の遷移をネットワーク図で表現

前編で提示した、「注視先遷移の確率の表」を再度、確認する。

子どもたちの砂場遊びに付き添っている保育士の注視先を、「子どもの顔」「子どもの体」「砂場内」「砂場外」「その他」の5つの領域に分け、10分程度の時間の間に、ある領域を注視したあとに、どの領域に何回注視先が遷移したかを領域ごとに確認し、注視遷移回数に占める割合を「確率」として、各保育士について計算した。

その後、その「確率」を「子どもの顔⇒子どもの身体」のような遷移パターンごとに平均し、一旦、保育士の個人差を脇に置いて、「平均的な注視先の遷移」を表にまとめてみた。それが、次の表である。表の行が「最初の注視先」で、表の列が、その行頭の注視先から遷移した「次の注視先」として表を作成している。例えば、%値が入っている左上のセルは、「子どもの顔→子どもの顔」という遷移の「確率」を表しており、その右隣のセルは「子どもの顔→子どもの身体」という遷移の「確率」を表している。

この表から分かるのは、保育士の「次の注視先」は、「砂場外」か「その他」に遷っていく確率が高いということである。特に、砂場内、砂場外から、砂場外に視線が遷っていく確率は、ともに5割となっており、「砂場外」が注視先の推移の「母港」的な位置づけになっているという仮説を立てることができる。
この仮説を前提に、砂場遊びにおける保育士の注視先遷移をネットワーク型の概念図、概略図に落とし込んでみると、次のような図を描けるのではなかろうか。

人間の視覚認知の特徴~顔認識と選択的注意

今回の分析では、保育士の注視領域を「子ども(顔/身体)」と「環境(砂場内外)」に分けている。この領域分割に関連して、参照するべき「人間の視覚認知の特長」として、顔認知の問題がある。
認知科学的には、人は人の顔に注意が向くようにできているとされているそうだ。さらに、顔に含まれるほとんどすべての特徴をすべて含んだ刺激にだけ反応する脳の専門領域があり、この領域が顔認識に特化することによって、通常の視覚認識回路を経ずに、顔を物よりも素早く確認することできるらしい。また、この領域は、情動(心の動き)の中枢である扁桃体の近傍にあるので、人間の顔認識は、無意識的なコントロールの影響を強く受けている可能性がある(無意識的に、顔に視線が向いてしまいがちということかも知れない)。
しかし、意外にも、今回の保育士の注視先のサンプルデータでは、保育士は子どもの顔にあまり注視先を向けていなかった。とすると、砂場遊びという条件下では、「顔」以外のどこかに、(意識的に)注視を向けてしまう要因があるということになる。そこで、人間の認知における選択的注意について考えてみる。人間の意識と選択的注意については、次のように説明されている。(「脳科学の進歩」p158 放送大学教育振興会 2006年)

 一般的な精神状態を表す覚醒などの概念と、特定の感覚入力に関する選択的注意は異なった概念である。一般的な脳の状態は覚醒と催眠に分けられ、覚醒はさらに、ボーとした注意散漫状態と、緊張した注意状態に分けられる。一方、注意集中状態のなかで、特定の感覚入力のそれぞれについて、注意が向いている状態と無視している状態がある。

19世紀に活躍したヘルムホルツは、視線を向けることなしに起こる内的な注意を発見した。私たちは注意を向ける対象に普通は視線を向ける。注意を向けることと視線を向けることは普通は一緒に起こる。~(中略)~視線を向けることとは別に、内的な注意のメカニズムがあることを示した。

 

周辺視野と信号検出理論

この選択的注視、内的注意との関係で注目する必要があるのは、「周辺視野」だ。

視野には、「中心視野」と「周辺視野」があり、中心視野は対象を直視する場合に使う領域で、周辺視野は網膜に画像は映っているが直視の対象となっていない部分だ。周辺視野の画像には、意識は向いていないものの、知覚していない訳ではなく、視野の全体の概要的情報はむしろ、周辺視野から得ているという研究がある。つまり、中心視野では、視線の対象となっている物についての詳細情報を獲得しているが、場面や状況を理解する情報は、周辺視野から得ているということだ。

そのような、周辺視野で知覚されている全般状況の中から、選択的注意の向け先が検出されるメカニズについては、「信号検出理論」が提唱されている。信号検出理論とは、映像、音声その他のノイズの中から、自分にとって必要な情報を引き出す過程についての理論だ。これに基づくと、知覚刺激があるということと、それを刺激として知覚することとは別であるということになる。

 

保育士が視線を動かすということは、そちらに「選択的注意」が向いているということだ。この選択的注意を向ける際には、周辺視野が重要だ。人間は、周辺視野に映ったものを必ずしも意識しないものの、周辺視野に映ったものを、実は知覚しており、その映像の中から、「気になる」シグナルを看取している。そこから、「気になる」モノを見出すと、サッケード運動で眼球を動かして、注視先が変わるということだ。

信号検出理論を踏まえると、砂場外に「次の視線」が行きがちなのは、砂場遊びが屋外活動であるが故に、周辺視野に「何か気になるモノ」が映っており、その情報が信号検出理論で概念する知覚を向けるための閾値を超えることが多いということなのかも知れない。

 

 

遷移ネットワーク図の仮説的解釈2つ

「次に注視するのは、どこか」という観点からデータを整理すると、「砂場外」に遷る確率が高く、他の領域に注視先を向けても、(一部、「その他」を経由して)「砂場外」、つまり、周辺環境に視線が「戻って」来るという構造を見出すことができる。

この「構造」がなぜ生じるのかについて、視覚認知の特徴や選択的注意の有り様を踏まえると、複数の仮説的な解釈が可能になるように思われる。

 

①「砂場外」に注意が向いているという解釈

屋外活動である「砂場遊び」においては、周辺環境に保育士の注視=注意が向いており、それは、安全確認のためなのではないかと思われる。つまり、屋外活動における子どもの安全確保という観点から、信号検出理論でいう「情報として認識する重要性の閾値」が低くなっているのではないかということだ。

本来であれば、砂場遊びの主人公である子どもの様子(顔や身体)に気を配り、「関わり」方を随時修正していく、又は、遊びが展開する「場」である砂場の状態に気を配って、環境構成を随時変更していくということが求められるはずである。そのために、子どもや砂場内の間で、注視先が遷移するというパターンが生じても良いと想起できる。

しかし、実際には、「砂場外」とそれ以外の領域との間で、注視先に遷移が生じており、それは、屋外活動における保育士の安全確認への志向性を表しているのではないかという仮説だ。

 

②「砂場外」が視線の「待機場所」になっているという解釈

また、別の可能性としては、「砂場外」を見ている時間において、保育士は、実は、その注視先に選択的注意を向けていない可能性も否定出来ない。というのも、視線が砂場の外に向いていても、意識や注意は、別の要素、具体的には、子ども(顔、身体)や砂場内環境に向いているのではないかということだ。

状況の全体像を認識するために、むしろ子どもや砂場内環境を個別に注視する(中心視野におく)のではなく、周辺視野に置いておき、周辺視野に何か意識を向ける信号があれば、そちらにすぐに注視先を遷移させることが可能な状態にしているということだ。いわば、砂場外が視線の「待機場所」となっており、周辺視野や内的注意で子どもや砂場内環境に注意を払っているが、何か信号が検出されると、そこへのサッケード運動を早く展開できるように、注視先を砂場外に「待機」させているという解釈だ。

 

勿論、これらの解釈は、今回のサンプルの、それも「平均値」に基づくものであり、一般化は難しいが、仮説として、提示させていただき、さらに検討を深めていきたいと思っている。

さて、今回の分析では、サンプルとして提供を受けたデータの平均で、保育士の視線、注視先遷移の様子を可視化するべく試行してみた。今後は、保育士の属性別の分析を進めるような機会を得たいと思っている。その先には、分析結果をVR技術で映像化し、自己の子どもとの関わりの振り返りに役立てたり、保育仮想体験のコンテンツ(教育、啓発用の教材)にしたりといったアイディアが広がっていくのではないだろうか。

 

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